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ユニクロとしまむらの比較~創業と経営戦略とビジネスモデル

ユニクロとしまむらの比較~創業当初と戦略

現在、ユニクロとしまむらは国内アパレル小売業で断トツの勝ち組として君臨している。今ではユニクロは知らない人はいない企業である。一方のしまむらはローカル出店ながら知名度は低くない企業である。馴染みのあるユニクロと馴染みの薄いしまむらであるが、国内アパレル企業では両社とも無類の強さを誇る。そこで、この記事では両社の創業~経営戦略、ビジネスモデルについて説明していきたい。ユニクロとしまむらは似ているようで全く持って似て非なるものである。

ユニクロの創業~

1. ユニクロ・柳井正

ユニクロ柳井正の生い立ち~

ユニクロの柳井氏のスタイルとして、経営はまず結論ありきというものがある。企業として目指すところをまず決めて、そこから逆算して今出来ることやしなければならないことに全力で取り組むというスタイルである。柳井は社員に「高い志を持て」とよく言う。これは、人は安定を求めるようになるとそこで成長が止まってしまうため、高い目標を掲げて、それに向かって実行努力することこそ重要である。目標は低すぎてはだめで、到底無理だと思われる目標でも綿密に計画を立てて、それを紙に書き、実行の足跡と常に比較して修正していく。そうすれば大体のことはうまくいく。

大事なことは諦めないことなのである。

こういったところから世界一の製造小売を目指しているということが伺える。

世界一の製造小売を目指すために組織改革を行ってきた。

柳井は大学卒業後に父の薦めでジャスコ(現イオン)に入社

仕事そのものが面白くなく、こんなことをしていていいのかと思ったりしていたが、何かやりたいという明確な意思もなかったため、仕事を真剣にやろうという気が起きなかったのである。わずか 10 ヵ月で退社してしまった。その後、アメリカに留学をしようと考えていたが父の説得により故郷の宇部に戻り、父の経営していた小郡商事に入社することを決意した。わずかな間ではあったがジャスコで仕事の流れや仕組みを実体験しているため、小郡商事の品揃えから仕事の流れなど店全体に効率の悪さを感じていた。グレードの高いスーツを売っていても回転が悪すぎる。赤字になっているわけではないが儲かってもいないのである。これではだめだと考えて、当時の幹部 6 人に自分の考えを言った。そのうちに幹部が続々と辞めていき最後は 1 人だけしか残らなかった。このとき父は何も言わなかったが会社の大事な通帳と実印を渡されたのである。会社を潰す覚悟があるなら俺の目の黒いうちだったら何とかするということであった。これにより、経営を任されるようになった。紳士服を売っていたのだが、小郡商事は小規模だったため限界を感じていた。

このときに郊外型店でカジュアルショップをやったら面白いのではないかと思い始めていた。年に 1 度アメリカやイギリスに行き最新のファッション情報を集めに行っていたのである。そのときアメリカの大学生協に寄る機会があった。ここでは学生の欲しいものがセルフサービスで置いてあった。また当時は日本でDCブーム2が起きていた。これは高価なため 10 代の子供達には手が出せない。

そこで 10 代の子供達向けに流行に合った低価格のカジュアルウェアをセルフサービスで提供できないかと思い、ユニクロという社名に変えたのである。

軌跡の V 字回復とフリースなどによる絶好調の時代

フリースキャンペーンと原宿店出店でユニクロは完全に蘇った。テレビ、新聞、雑誌などで広告を掲載したことが功を奏しフリースは爆発的に売れた。売り切れも続出した。このとき柳井はこんなに売れる商材はなく、自信を持っている商品を展開し続けることが大事だから 1200 万枚売りたいと言ってのけたのである。この頃ユニクロはフリースブームの後に、フリースの相乗効果で他のものも売れるのではないかという勘違いをしていた人間が存在していたのと、新鮮味のある商品を投入できなかったことにより業績が落ちていった。このときに柳井は当時副社長だった玉塚氏に社長を引き受けてくれと頼んだのである。新社長を中心に若手の経営チームが下の人たちと一緒になり、お客様志向、現場志向で商売を作らなければいけない状況であった。経営者が現場に出て、お客様を見ながら、自ら問題点などを発見して解決していくのを期待していた。しかし、玉塚社長は堅実な経営をしていたため、2010 年売上高 1 兆円を目指している柳井にはそれがどうしても我慢ができなかった。その結果、玉塚氏は更迭されて柳井が社長に復帰した。

ユニクロを持ち株会社制に移行

柳井は 60~65 歳の間で経営の第一線から引退することを考えている。その後は投資家として一生を送るつもりでいる。柳井は事業会社のユニクロと、それを監督する持ち株会社のファース
トリテイリングの両方の代表取締役会長兼社長(CEO)を務めている。これがいびつな構図であると本人も認識している。ユニクロの社長交代は急がなければならないのだが、柳井は人選に関
しては念には念をと焦らないようにしているのである。何故 60~65 歳で引退をしようと考えているのかというと、体力と集中力の衰えと柳井が言っていることが掛け声だけで終わってしまう恐れがあると感じ始めたからである。経営はスポーツみたいなもので、チームリーダーとして先頭に立ち自分の体力で全員を引っ張っていけるうちはいい。しかし現在 50 代半ばになった。チームの主体が 30 歳代、40 歳代になってきたので、同じような年代の人達が構成する経営チームが、その仲間全員をこういう企業にしたいと考えてその方向に引っ張っていく方がいいのではないか。年代が離れれば離れるほど、意思が伝わりづらくなる。このような思いを持っているため、柳井は自分一代でまだ目が黒いうちに世界一へと駆け上がりたいと思っている。

しまむらの創業~

しまむら・藤原秀次郎

しまむらの実質的創業者。
もともとの島村呉服店は、島村恒俊(しまむら のぶとし)さんが埼玉県の小川町で創業。

その島村さんのものとで、衣料品のチェーンストアをつくったのが、藤原秀次郎さん。

1990年に、代表取締役社長になり、2005年に、代表取締役会長。
このとき野中正人さんに社長を譲り、藤原さんは2009年取締役相談役、2011年に相談役に退いていた。

2018年に野中さんが、体調を崩して会長となり、2歳年上の北島常好さんが社長になった。

そして、しまむらは2020年5月15日付で、藤原秀次郎相談役(79)が取締役に復帰すると発表した。

藤原氏は1990年から15年にわたって同社社長、05年からの4年間は同会長を務めたしまむら中興の祖ともいえる人物。なお、前社長である北島常好取締役会長は退任する。

しまむら中興の祖・藤原秀次郎氏の生い立ち~

藤原は 1963 年に慶應義塾卒業後、実家のフジワラストアを手伝っていた。その後、1970 年に島村呉服店(しまむらの旧社名)に入社する。藤原が入社した 2 年後に現在の「しまむら」に社
名が変わった。藤原はしまむらを大きくした経営者ではあるが創業者ではない。入社した当時の島村呉服店は創業してまだ 2 年の小さな会社であった。呉服から実用衣料へと切り替えている途
中であった。藤原は小さな会社の方が成果がすぐに出て面白いということで経営にのめり込んでいった。企業拡大を夢見ていた島村社長は若いのに飛びぬけて優秀な藤原の才能に惚れ込んでい
た。その資質を見抜いて早くから会社の実務を任せていった。取締役、専務取締役、代表取締役専務、社長ととんとん拍子に出世していった。それ以前から実質的な権限を持って事業拡大も行
っていた。藤原は極めて合理的な考えの持ち主であった。しまむらの高精度な物流システム、店舗運営体制を単独で作り上げた。また、総合スーパーとの競合を避けて、日用衣料専門チェーンを選んだ。後発企業では勝負にならないという冷静な発想がそれを可能にしたのである。早くから在庫管理の重要性も認識していた。そこで藤原はコストがかからないようにするために自分でソフトを作ってコンピュータによる在庫管理を進めた。

しまむら中興の祖・藤原秀次郎氏の理念 自由と公平

藤原氏はもう 1 つ考えを持っている。それは自由と公平である。企業として大事にしているものを優先順位で従業員、顧客、株主としている。従業員にとって会社は常に働きやすい場所でなけ
ればならないから自由と公平が最低限保障されている。自由と公平が社内に浸透して、しまむら特有の仕組みが稼動しているのかもしれない。この藤原の考えが同化することによって他社に負けない独自のパワーとオーラ、企業としての輝きを発し続けてきたのである。

ユニクロとしまむらの経営戦略とビジネスモデル

ユニクロの経営戦略

ユニクロの成長

ユニクロは顧客志向に立ち、原価低減という利点をできるだけ早く消費者に還元することを企業としての差別化の基本戦略としていき、勝ち組アパレル企業となった。また、ユニクロが勝ち
組になれたのは完全 SPA 方式(Specialty Store Retailer of Private label Apparel:製造小売業)によって 100%自社物流にし、問屋を不要にしたことも挙げられる。

ユニクロは今までに大きな変革を 4 回行ってきたのである。

1 つ目が、1984 年に父が経営をしていた小郡商事の社長に 35 歳で就任し、普通のメンズショップが当時ではとても珍しかったセルフ方式のカジュアルショップに生まれ変わり、ユニクロの
1 号店をオープンさせた。ユニクロという店名の由来はユニーク・クロージング・ウェアハウス(無駄を省いた倉庫型店舗)の略称から来ている。

2 つ目が、1991 年に社名を小郡商事からファーストリテイリングに変更し、カジュアルショップからカジュアルチェーンへと変えた。ファースト(速い)リテイリング(小売業)とはファーストフードのようにいつでもどこでも誰でもすぐ着られるアパレル小売業を目指すという意味合いで付けられたのである。

3 つ目が、1998 年の原宿店のオープンと、大々的に行われたフリースのキャンペーン。

4 つ目が、2002 年に退任した柳井が 2005 年に社長に復帰し、ファーストリテイリングを持ち株会社へと移行させた。ここで世界に通用するユニクロを掲げ、2010 年には売上高 1 兆円を目標とした。このように節目で変革を行い今までとは違う会社にしていくことにより過去に対しての安泰した姿勢を切り捨てていき、常に成長していくことを行ってきた。

新しいカジュアルマーケットを自ら作り出し、開拓していき、拡大していった。また、「いつでも、どこでも、誰でも着られる、ファッション性のある高品質のベーシックカジュアルを市場最低価格で継続的に提供する。その為にローコスト経営に徹して最短、最安で生産と販売を直結させる」という常にぶれない明確な企業理念があった。作業において、細かいことまでマニュアル化し、小売経験がなくても店舗要員として即戦力化する体制を作った。これらのことが成功の最大の要因である。

ユニクロの経営戦略と業態

ユニクロの経営戦略は特徴的である。1 つ目は、完全 SPA である。SPA は他社に対し競合優位に立つための切り札であると同時に、企画が外れればそのシーズンを棒に振り、下手をすれば企
業イメージのダウンに直結するという大きなリスクと隣り合わせなのである。

SPA をやるにあたり開発輸入先は中国が主体になっている。このように中国からの直接調達体制をとる小売業や量販店は多いが、ユニクロはその他の企業とは違い、商品の完成度に対する強
いこだわりと執念を持っている。通常はコストとプライス戦略の面のみから中国などのアジアを生産基地として利用しているが、ユニクロは違う。クオリティで妥協をしないために、早くから
中国にバイイング事務所を開設し、商社に任せっきりにせず中国の縫製工場と直接折衝、発注体制を整えている。また、日本からも担当者が現地へと頻繁に足を運び、きめ細かい生産・品質管
理に当たってきた。さらに、欧米巨大小売業の PB(プライベートブランド)や著名ブランドを手がける中国の一流工場の開拓をいち早く進めてきた。だが、そのような工場は世界的小売業や有名アパレルメーカーから引っ張りだこのため、取引になかなか応じてくれなかった。そのためアイテム数を絞り込んで 1 アイテム当たりのロットを数万~数十万枚と拡大して他社よりも有利な条件で契約を結んでいったのである。ユニクロのアイテム数は色やサイズのバリエーションを別にすればワンシーズン 350~400 と極端に絞り込まれている。これは通常のカジュアルショップに比べて 3 分の 1~5 分の 1 の水準である。この大胆なアイテム絞り込みが SPA の優位性を最大限引き出す究極の手法である。こうしてフリースやカシミアセーター、チノパン、スキニージーンズ、エアリズム。ヒートテックなどの単品大量 MD による大ヒットを飛ばしてきた。それらの商品の売り逃しを減らすためにシーズン入り後の追加生産と販売体制を徹底して強化してきた。これが基本的なユニクロのMD 戦略である。

ユニクロの今後

ユニクロは、革新的なグローバル企業を作り、世界一のアパレル小売業グループにするというビジョンを持っている。このビジョンを実現させるためにユニクロは動き出しているのである。ユニクロの MD は時代やニーズに対応したものを出すようになってきた。単品訴求からトータルコーディネートへと変化した。これまでユニクロは 1 アイテム単独完結型の単品集積売場が特徴的だった。そのため、テーマ別、スタイル別に分類・編集された商品の展開は革命的なのである。ここから従来のユニクロでは見られなかった商品が出てくる。スキニージーンズに代表される先端トレンドを取り入れたコア商品や、デザイナーズ・インビテーション・プロジェクトのような新たな取り組みが開発された。このような革新的な MD 戦略を可能にしたのは R&D 本部の力が大きい。この R&D 本部が設置されたのは第 3 世代 SPA を実現させるためだった。第 3 世代SPA とは、情報発信製造小売業である。これはまだ世界になく、いち早く移行したものが勝者になる。第 3 世代 SPA は単なる SPA ではなく、ポスト SPA としてお客様にとって買いたい理由の新しい発見と提示が事業全体を動かす新しい概念となる。ちなみに第 1 世代 SPA は単品を売って成功した SPA(代表は GAP、リミテッド)、第 2 世代 SPA はファッションとトレンドを売って成長した SPA(ZARA(スペイン)、H&M(代表はへネス&モーリッツ/スウェーデン)である。第3 世代 SPA はマーケットイン型 SPA で、現場の情報と反応もシステム的に反映される双方向型のコンセプトともの作りである。

また、新規出店にも積極的である。大型店開発をユニクロは今後の成長エンジンとしている。これは 1 番競争力のある、1 番新しいユニクロを表現する場は大型店しかないと考えているので
ある。大型店だからできるマンスリーコレクション(ウィメンズ)など標準店にはない MD と特化商品は人気があり、これは大型店ゆえ提案と強化が可能なのである。また、各商品部門別の小
型専門店の開発も行っている。婦人インナー、キッズ、ウィメンズだけを取り扱っている。このように 10 坪から 1000 坪までの変幻自在な業態開発による立地、商圏、施設を固定概念で選ばないマルチ出店戦略を行ったのである。

そして、国内外問わずに M&A も積極的に行っている。この目的は、事業構築の時間の節約、世界トップクラスの経営者の獲得、ファーストリテイリンググループに足りない機能、強化すべき機能の獲得、海外事業のプラットフォーム化である。

しまむらの経営戦略

しまむら成長

しまむらはバブル崩壊後の 1990 年代、特に婦人服において衣料品の単価ダウンによるデフレ現象が起こったにも関わらず安定的な売上と利益を拡大していった。しまむらには実質的な競合相手がいない。決して他社を寄せ付けない最強の体質を作りあげたのである。最強の体質とは、業界一の規模の大型店で低坪効率・低粗利益率にも関わらず高い営業利益を叩き出すシステムのことである。これを可能にするのが経費率の低さである。しまむらは 21.7%(ユニクロは 29.0%)である。これは上場アパレル小売チェーンで最も低い数字である(ユニクロは 2 番目に低い)。この経費率の低さが、価格競争力を含む様々な顧客満足戦略を可能にし、売上の増大に繋がるのである。

しまむらは当初はごく普通の総合衣料品店であった。1970 年代半ばからオーナーの島村が会社を大きくしようと考えた。GMS(総合スーパー)や SM(食品スーパー)をやろうと研究をしたが後発企業のため面白くないし先が見えるからと断念。スーパーは食品で売上を出し、衣料品で儲けを出している。低い坪効率でも利益を出せる仕組みを作り、チェーン化させようと考えたのである。しまむら 1 号店がオープンしたときからチェーン化を前提にセントラルバイイング(本部集中仕入れ)を開始した。

1975 年には、まだ数店規模ではあったがコンピュータを導入して、同時に物流の合理化を目指してトラックのチャーター契約で専用便を運行した。店舗数が 30 店近くになった 1981 年には全店舗をオンラインで結び単品管理を始めた。商品の売れ行きや在庫を中央で把握するために完全に数値化したのである。このときは手探り状態のシステム化だったが、多店舗化するにつれての中央コントロールの強化を図っていた。

1984 年埼玉県川口市に物流センターを建設した。このとき店舗数は 50 程度に過ぎず一般的には自前の物流センターなどほとんど必要ではない。だが、このときから多店舗展開と物流網の構築を意識していたのである。川口物流センターは、単に物流の拠点ではなく物と情報の融合と集中を図り、店舗での検品を自動化することによって仕入れ伝票を廃止し、店舗への夜間定時配送などの改革を断行することで納品検収業務を大幅に合理化した。この頃から高度な物流システムの原型が築きあげられていた。

4 年後の 1988 年には大宮に商品センターを建設して川口から移転させた。店舗展開よりも早く基盤となる物流体制を作っているのが特徴的である。その後、1993 年福島、94 年岡山、犬山、99 年桶川、2000 年北九州、盛岡と全国に商品センターを設置していった。物流網を構築し始めた翌年の 1985 年にはしまむら独自の制度であるコントローラー制を敷いている。コントローラー制は全店の在庫管理や店間移動、売場オペレーションなど現場作業全般の指示を出す本部要員のことである。

しまむらにも転換期は訪れた。しまむらの客単価が落ちてきたのである。これは競争の激化が原因である。デイリーファッションをメインにチェーンとして日用衣料を展開していたのはしま
むらだけだが、既存の大手スーパーが同等の商品を同水準の価格で大量に店頭に並べていったのである。また、商品の数があまりにも多すぎて自分の欲しいものを選ぶのがとても困難である。
要するに目玉商品がないためどれを見たらいいのかと困るのである。順調に店舗展開を行ったということで飽和状態にもなってしまった。そこで、ポスト・しまむらとも言うべき次の成長へ向
けた業態の構築が求められた。

その第 1 弾が 1997 年に始まったヤングカジュアルのアベイルである。アベイルは、男性用と女性用をはっきり打ち出した商品展開を行い、扱う商品はアメリカンカジュアルとヨーロピアンエレガンスの 2 ジャンルとシューズである。これは、あえてしまむらから切り離したプロジェクトで、ゼロからの店作り、MD が奏功した。ヤングカジュアルのためしまむらのターゲットとする年代とバッティングしなかった。その後、生活雑貨のシャンブル、ベビー・子供服・子供用品のバースデイ、近年では靴のディバロが登場した。これらは顧客が目にする商品はまったく別物だが、後方の仕組みは同じである。これがしまむらの強みである。この新しい業態をそれぞれ補完しあって集客力を高められるのがショッピングモールである。かつて、しまむらの物流センターがあった大宮にショッピングモールが建設され、そこにファッションモールを出店させた。その後も全国 125 ヵ所に出店していったのである。

しまむらの経営戦略と業態

しまむらの経営戦略もユニクロと同様に特徴的である。

しまむらの強み

1 つ目は、(集荷)品揃えである。

しまむらはメーカーや問屋から商品を仕入れる品揃え型小売業である。しまむらの商品構成は、多品種・多アイテム・少量品揃えが基本である。300~350 坪の標準店に 4~5 万アイテムが展開されている。婦人服は 1 アイテム 2 着までという方針が徹底されているのである。しまむらの MD 政策は、リピート(追加仕入れ)不要、売り切れ御免という独自のものである。また欠品が発生しても発注はしない。そのため、シーズン中の商品追加補充は行わない(自動発注による定番商品補充等は別)。アイテムバリエーションを広げ、売れ筋を絞り込まず追いかけないことでリスクの分散を図る。品切れしたら補充をしない代わりに新製品を投入して売場の鮮度を維持するのである。また変化の訴求が優先されるのである。そのため、品切れしたら売場がどんどん変わっていく。だが、全店で売り切れるわけではない。この場合、売れ残っている店から売り切れた店に回すのである。店舗間の商品移動はしまむら独特の手法である。ユニクロの SPA と逆の集荷型を行っている理由として、日本中の優秀なデザイナーを自由に買うことができる。商品を仕入れるように企画・デザイン・開発ノウハウも仕入れればいいという考え方なのである。そのため、絶対に製造の分野には入らない。メーカーの開発力に全幅の信頼を置いているのである。商品調達は従来型の卸やメーカーとの取引に徹底している。しまむらの仕入先は現在 500 社ある。我々は買わせてもらうというスタンスを貫いている。返品をしない、未取引なし、赤黒(一旦返品して納入価格を下げさせてまた納入すること)は決してやらない。また、棚卸や販売応援の協力要請なども一切ないのである。これはメーカーにとってはありがたいことなので、しまむらには優先的に売れる商品が集まる。だが、商品選別、価格、納期にはとてもシビアである。大手スーパーなどに納入する価格がしまむらでは販売価格になることもしばしばある。メーカーにとっては厳しいが、少なくとも返品を絶対にしないということは、資金の回転が計算できるということであり、小売とメーカー・問屋が対等の立場であると再認識させた。この関係を作るのにしまむらで 10 年かかったと言われている。このような良好な関係がなければ高成長は不可能だったはずである。

2 つ目は、店のオペレーションが本部主導である。

しまむらは売り切れ御免という考え方のため、次に展開する新商品が売れるかどうか判断できるのは現場ではなくバイヤーがするため本部管理が不可欠である。しまむらにはユニクロのようなブロックリーダーや SV などの専門職がない。その代わり、24 の商品部門別に分かれたコントローラーと呼ばれる 50 名の本部要員が全店舗を営業管理している。コントローラーが各店に日々のオンライン依頼書と月々の売場計画書などを作成して店に具体的な指示を与えるのである。そのため、店舗要員はコントローラーの指示のもとで各店のレジ下に置いてあるマニュアルに従って、合理的で無駄のない効率的な店内作業を行うことができる。売場での商品の検品、検収、値札付け、品だし、陳列、清掃、値札の貼り
換えの作業がすべて明確かつ具体的にマニュアル化されている。このマニュアルは A4 版のファイル 10 冊で積み上げると 1 メートルにも達する膨大なものである。このマニュアルはいつでも追加や削除が可能なためにバインダー形式になっている。そのうちの「就業規定・規則」「業務」「陳列・演出・売場作り」「業務チェックリスト」「教育マニュアル&用語集」の 5 冊が店舗用になる。これは、誰にでも理解できるように平易な言葉で絵や図も駆使して具体的にまとめられている。このマニュアルはベテラン社員の作業能率を標準として、それに合わせられるようにと作られているので、マニュアルを理解すれば誰でも明日から店長としての業務ができるということであり、小売経験がまったくなくても短期間で戦力化することができる。また、現場の店員が改善すべき点を指摘して、提案をするとマニュアルに受け入れて改善する仕組みを作り上げているのである。このマニュアルは別業態でも使われており、マニュアルはしまむらの最大の財産とも言えるものなのである。

3 つ目は、物流は 100%自前主義である。

しまむらは国内ナンバー1 級の高度な自社物流網を築いている。しまむらは頻繁に横の物流の店間移動を行っている。自社物流システムにより、単品
2、3 枚、売価 3000~4000 円程度の小ロットで店間移動のメリットが十分出る仕組みが出来ているのである。ちなみに、売れ残った商品を横の物流で処理する方が、新しく仕入れるよりも儲かるのである。この店間移動が完全買い取り制を行っているしまむらの決め技でもある。そして、店間移動させる際にはコントローラーがアイテム別、サイズ・色別に単品管理された各店別のデータを把握しており、一定期間店頭に置いて売れない商品を強制的に売れる確率の高い店に移動する指示を出すのである。また、商品センターは完全トランスファー型である。これは、在庫の備蓄はせずに納品された商品はジャストインタイム方式で各店舗に振り分けられるのである。各センターは大型トレーラーによるシャトル便で結ばれ、各店舗とセンターは 4 トントラックの定時・定店運行で結ばれているシャトル便の体制が取られている。各店舗への輸送は渋滞の心配がない夜間行われている。低価格での商品提供を可能にするローコストな運営体制、適時・適品で鮮度の高い商品補充体制による顧客満足などの高利益は精密な物流が支えているのである。

4 つ目は、人材開発はゼネラリスト育成である。

しまむらのパート比率は約 84%に及ぶ。このようにパート社員がいなければ経営が成り立たないのである。パート社員が多い理由は人件費削
減という面だけではない。パート社員の主体は家庭の主婦である。これは、しまむらのメインの顧客である 20 代後半から 40 代にかけての女性客と重なり合う。お客様がどういうサービスを望んでいるか、どういう接客を望んでいるのか、どういう店の雰囲気がお客様にとってリラックスできるのか、または逆にお客様の嫌がる過剰サービスはどいうものか、などを身をもって知り尽くしているので販売の現場の担当としてはこれ以上に有能な社員はいないと言える。パート社員にも勤続評定とボーナス、退職金制度を適用して正社員との格差を極力なくしているのである。力のあるパート社員はどんどん店長(正社員)に格上げしている。主婦層には都会での仕事から、出産したり U ターンしたりで地方に戻ってきている人もいる。その中には都市部で百貨店やスーパーやアパレルメーカーなどで華やかな仕事を経験している女性が辞めて戻ってきているケースもあるため、労働力としては宝庫なのである。しまむらの正社員は、通常 2、3 年周期で配置換え、担当換え、部署換えになる。しまむら特有の高速配転主義である。これは、マニュアルがあればすべての業務は最低限こなせるから実行できるのである。まさにゼネラリスト育成のために行われているのである。

しまむらの今後

流行やトレンドは二の次、三の次で、定番商品を主体に低価格の実用ファッション衣料を売りまくってきたのだが、2000 年代に入ってから商品の売れ行きが目に見えて鈍ってきた。実験的に入れたトレンドの商品が逆に売れてきたのである。そのような流れを以前から読んでいたようで、当時急激な成長をしていた H&M などを研究していた。近年ではトレンド路線が充実してきて磨きがかかりつつある。これを可能にするのが、2001 年頃から組織ぐるみで行っているヨーロッパ各都市でのトレンド研修である。バイヤーを中心にシーズンごと(年 4~6 回)定例で派遣している。調査都市はパリ、ロンドンが中心だが、商品部門によってミラノ、ニューヨークなどもある。当初、婦人服が先行していたが、近年は紳士・子供服、服飾雑貨、靴とほぼ全部門へと広がりを見せている。渡欧する際は、しっかりと国内で事前に次期の MD テーマと仮説を立ててから行くのである。MD の進歩によって、しまむらも VMD やコーディネート陳列の技術が必要になってきた。2003年から順次ウインドウディスプレイを導入していき、今では全店で飾られている。また、MD 戦略で目を引くのが PB の強化と充実である。しまむらの特徴が色濃く出るような商品を PB 化している。その狙いは品質、感度、売価におけるしまむら仕様の徹底にある。しまむらにはデザイナーがいないため、バイヤーが各 PB のコンセプト、仕様、品質と売価をメーカーに明示して、受けたメーカーが商品の具体案を示して PB 商品が決定して、発注されるという流れである。しまむらの考え方と主力商品は常にこのレベル、グレードにあるということをメーカーに正確かつ具体的に提示するために PB を強化しているのである。

自社ECを本格開始し、ECと実店舗の連携による客数増、売り上げ増を目指す。

しまむらはここ数年、従来得意としてきた低価格戦略が通用しなくなっており、客数減による減収減益が続いている。2020年2月期は売上高が前期比4.4%減の5219億円、営業利益が同9.7%減の229億円だった。2月21日付で北島氏に代わって鈴木誠氏が社長に就任、コロナショックで先行きが見通せない状況ではあるが、20年秋には出遅れていた自社ECを本格開始し、ECと実店舗の連携による客数増、売り上げ増を目指す。

ユニクロとしまむらの比較まとめ

完全SPAのユニクロ

ユニクロは、完全 SPA というすべて自分達で商品を作り出す戦略を取っている。これはユニクロの基本的な MD 戦略である。1 アイテム当たりのロット数を拡大して、アイテム数を絞り込ん
でいった。これが SPA の優位性を引き出す手法である。この結果、単品大量 MD による大ヒットを飛ばした。店のオペレーションは、店舗主導である。少アイテム、リピートオーダーが主体のため店舗主導が適している。課題や問題点は店舗で発見して、本部はそれを手助けするだけである。物流は、完全アウトソーシングである。日本ではコストが高いため自社の物流センターは持たないで、早い、丁寧、確実、安いソーシング先に委ねている。人材開発は、スペシャリスト育成である。店舗主導であるから店長が最重要になってくる。その中で最高峰の店長が SS 店長とFC 店長である。いずれも厳しい審査によって選び抜かれた店長である。

メーカーや問屋から商品を仕入れる集荷品揃えを戦略としている、しまむら

商品を仕入れるのと同じように企画・デザイン・開発ノウハウも仕入れればいいという考え方である。MD 政策は、リピート(追加仕入れ)不要、売り切れ御免と独自である。商品は多品種・多アイテム・少量品揃えが基本で、店舗には 4~5 万アイテムが展開され、1 アイテム 2 着までと徹底されている。店のオペレーションは本部主導である。しまむらの MD 政策ではバイヤーの目利きが重要なため本部主導になる。店舗の従業員は簡単な言葉や絵で書かれた誰でも理解のできるマニュアルを使って業務を行っている。物流は、100%自前で行っている。国内ナンバー1 級の高度な自社物流網を築き上げた。人材開発は、ゼネラリスト育成である。しまむらは、パート比率が約84%に及ぶ。しまむらメイン顧客の年齢と重なり、お客様がどのような要望を持っているか知り尽くしている。正社員は 2、3 年で配置換え、担当換え、部署換えを行って、マニュアルがあればどの仕事もできるということ高速配転を行っている。以上のように両社の違いを振り返ってみた。ユニクロはユニセックスで男女問わず商品を展開しており、しまむらは婦人服中心の展開をしている。

ターゲットとする層が若干違うものの、同じ衣料品小売業である。このアパレル小売業の 2 大巨頭がまったく逆の経営戦略を取っている。ユニクロは単品大量 MD 政策で今も好調を維持している。最新のトレンドをしっかり反映させたMD 戦略が見事にはまっている。近年のユニクロの商品は一目でそれがユニクロの商品かどうかわからないほどである。ユニクロはお客様がどういったものを要求しているのかをしっかりと研究していると思う。常に最新のトレンドを反映させている商品を出していき、それをヒットさせていかなければならない。一方のしまむらは、常に鮮度の高い売場の構成をしていき、トレンドをうまく入れた商品展開が必要になってくると思われる。

両社は、MD 戦略において最新トレンドを採用していく。今までは少し違ったフィールドで戦っていた。しかし今後は同じフィールドでの戦いも見ることができる。今後、都市部での大型店も同じように展開していくと思われる。ユニクロは世界一へ向けた戦略を、しまむらはトレンドを入れながら徐々に都市部への進出、高度な物流網を生かした商品展開を行っていくことであろう。両社は今後も自らの目標に向けて邁進していくことであろう。

文献一覧
1. 近江七実『ユニクロ・急成長の秘密 ひとり勝ちを生む経営革命・販売革命』あっぷる出版社、
2. 岡本広夫『ユニクロ方式 柳井流・常識破りの戦略ノート』ぱる出版、2000 年。
3. 繊研新聞社『UNIQLO異端からの出発』繊研新聞社、2000 年。
4. 月泉博『ユニクロ vs しまむら 専門店 2 大巨頭圧勝の方程式』日本経済新聞社、2006 年。
5. 梛野順三『ユニクロマーケティング方式 大量生産・大量販売の市場独占戦略』ぱる出版、
2001 年。
6. 溝上幸伸『しまむら逆転発想マニュアル 驚異の低価格・高利益のマジック商法』ぱる出版、
2001 年
7. 柳井正『一勝九敗』新潮社 2000 年。